ジョン・マカフィー(John McAfee)とは

1. 概要

ジョン・マカフィー(John McAfee, 1945年9月18日 – 2021年6月23日)は、アメリカのプログラマー、起業家、サイバーセキュリティ専門家であり、McAfee社(マカフィー)を創設したことで知られています。彼はまた、仮想通貨業界にも深く関与し、数々の発言や行動で注目を集めました。

その人生は、サイバーセキュリティ業界のパイオニアとしての成功から、犯罪疑惑、政治活動、亡命生活、そして最終的な死に至るまで、波乱万丈なものでした。


2. 若年期とキャリアの始まり

ジョン・マカフィーは1945年にイギリスで生まれ、幼少期にアメリカへ移住しました。数学とコンピューターサイエンスを学び、NASAやゼロックスなどの企業で働いた後、1987年に自身の名を冠した「McAfee Associates」を設立しました。

当時、コンピューターウイルスが急速に広がり始めていた時代であり、彼が開発した「McAfee Antivirus」は、世界初の商用アンチウイルスソフトウェアとして成功を収めました。1990年代にはMcAfee社が市場を席巻し、ジョン・マカフィーは一躍有名な起業家となりました。

しかし、1994年に彼はMcAfee社を去り、その後はさまざまなビジネスに関与しながらも、次第に風変わりな行動が目立つようになりました。


3. ベリーズでの事件と逃亡生活

2008年、マカフィーは中米ベリーズに移住し、そこで新たな事業(抗生物質の研究施設など)を立ち上げました。しかし、2012年、近隣住民の殺害事件に関連してベリーズ警察に追われることとなります。

彼は関与を否定し、逃亡生活を開始。グアテマラへ渡るも逮捕され、その後アメリカへ強制送還されました。この一連の事件は彼の「型破りな」生き方を象徴するものとなり、以降も彼の行動は世間の注目を集めました。


4. 仮想通貨業界との関わり

(1) 仮想通貨の支持者としての活動

2017年の仮想通貨ブームの中で、ジョン・マカフィーは強烈なビットコイン(BTC)支持者として登場しました。

  • 2017年7月、彼は「2020年までにビットコインの価格が50万ドルに達しなければ、自分の身体の一部を食べる」と宣言。
  • その後、この予測を100万ドルに引き上げるも、最終的には「ただのマーケティングだった」と発言を撤回。
(2) アルトコインの宣伝と批判

マカフィーは、ICO(イニシャル・コイン・オファリング)や新興アルトコインを積極的に推奨しましたが、その多くが疑問視されるプロジェクトだったため、「ポンプ・アンド・ダンプ(価格操作)」の疑惑が浮上しました。

彼は仮想通貨業界の規制を批判しながらも、同時に自らが関与したプロジェクトの合法性が問われることも多くありました。

(3) 独自の仮想通貨プロジェクト

2018年には、独自のプライバシーコイン「Ghost」を発表しましたが、プロジェクトは混乱し、彼自身も開発チームと対立。その後、関与を断つことを宣言しました。

また、「McAfeeDEX」という分散型取引所(DEX)を立ち上げ、仮想通貨取引の自由を推進しましたが、大きな成功には至りませんでした。


5. 逮捕と死去

(1) 脱税容疑と逮捕

2020年、ジョン・マカフィーはアメリカ政府により脱税の罪で起訴されました。彼は長年にわたり税金を支払っていないことを公言しており、仮想通貨やコンサルティング業務を通じて得た収益を隠していたとされています。

2020年10月、スペインで逮捕され、アメリカへの引き渡しを控える状況となりました。

(2) 獄中での死

2021年6月23日、スペインの刑務所内でジョン・マカフィーは死亡しました。スペイン当局は「自殺」と発表しましたが、彼の家族や支持者は「政府による陰謀」や「他殺の可能性がある」と疑念を抱きました。

彼自身も生前、「政府に追われており、殺される可能性がある」と繰り返し発言していたため、彼の死に関する議論は現在も続いています。


6. ジョン・マカフィーのレガシー

ジョン・マカフィーは、

  • アンチウイルスソフトの開発者としての功績
  • 仮想通貨業界における影響力
  • 型破りな生き方と過激な発言 など、多くの分野で記憶される存在となりました。

彼の人生は、天才的な技術者でありながらも、スキャンダルや犯罪疑惑、亡命生活に彩られたものとなり、サイバーセキュリティ界・仮想通貨界の「伝説的なアウトロー」として語り継がれています。

彼の発言や行動が真実だったのか、それともただのパフォーマンスだったのかは分かりませんが、ジョン・マカフィーがIT業界と仮想通貨業界に与えた影響は、今後も議論され続けるでしょう。